JR東海の発展の牽引者であり、「改革3人組」の一人と呼ばれたJR東海名誉会長の葛西敬之(かさいよしゆき)さんが、2022年5月25日(水)に亡くなられたという報道がありました。
JR東海のみならず、多方面で尽力された葛西敬之さんが、どんな学歴、経歴を辿ってこられたのか。
そんな葛西さんを支えた妻(嫁)はどんな方なのかを中心に調査していきたいと思います。
そして、死因となる病気(病名)は何だったのでしょうか。
題して、
- 葛西敬之の死因となる病気は何?
- 葛西敬之の妻(嫁)はどんな人?
- 葛西敬之の学歴(出身高校・大学)は?
- 葛西敬之の経歴は?
とし、リサーチしていきたいと思います。
それでは早速本題です。
葛西敬之の死因となる病気は何?
葛西敬之さんは病気で療養していましたが、2022年5月25日(水)朝、間質性肺炎のため81歳で亡くなられました。
もともと病気で療養していたとのことですから、基礎疾患は別にあると考えられますが、その詳細は現時点では情報を見つけることが出来ませんでした。
しかし亡くなられた直接的な原因(死因)は、間質性肺炎とのことです。
間質性肺炎の原因は大きく5つに分けることができます。
- 免疫異常によるもの(自己免疫性間質性肺炎)
- 異物の吸入によるもの(職業環境性間質性肺炎)
- 薬や放射線治療によるもの(医原性間質性肺炎)
- 感染症によるもの
- 原因を特定できないもの(特発性間質性肺炎)
上記のことから、基礎疾患がもとになり間質性肺炎になった可能性は充分に考えられるのではないでしょうか。
呼吸器系の病気は「死」と直結しやすく、大変苦しいものです。
葛西敬之さんの最期があまり苦しまず、安らかであったことを願ってしまいますね。
▶葛西 敬之(かさい よしゆき)さん
生年月日:1940年10月20日
享年:81歳(2022年5月25日死去)
出身地:兵庫県/育ち:東京都
葛西敬之の妻(嫁)はどんな人?
葛西敬之さんの妻(嫁)の名前は葛西省子(かさいしょうこ)さんといい、鉄道省で参議院事務総長・会計調査院長だった芥川治さんの娘さんにあたります。
芥川治さんは3人の子供に、鉄道省から一文字ずつとり、
と名付けたことで有名ですが、妻・省子さんは、実家にいるときから鉄道に縁が深く、結婚してからも鉄道への縁が続いていたんですね。
妻(嫁)との馴れ初めは?
妻(嫁)である葛西省子さんとの馴れ初めは、1966年秋、国鉄監察局長を歴任されている芥川鉄男さん(省子さんの兄)の家に招かれた際、「妹が手伝いに来てる」と紹介されたことが出会いだったとのこと。
当時、省子さんは大学4年生(22歳)で、26歳の葛西敬之さんは一目惚れしてしまったとか!
1967年5月 葛西敬之さんは留学前に結婚式を挙げ、同年7月にアメリカ合衆国・ウィスコンシン州で新婚生活を送りはじめました。
葛西さんはウィスコンシン大学マディソン校に留学中、長女が誕生しており、子供は3人います。
- 1966年 秋葛西敬之と芥川省子が出会う
- 1967年5月結婚
- 1967年7月アメリカ合衆国・ウィスコンシン大学マディソン校留学
新婚生活
留学中に長女誕生 - 1969年アメリカ合衆国・ウィスコンシン大学マディソン校大学院卒業(経済学修士)
葛西敬之の学歴(出身高校・大学)は?
葛西敬之さんの学歴(出身高校・大学)はどのようになっているのでしょうか。
次で順にみていきましょう。
葛西敬之の出身高校(学歴)はどこ?
葛西敬之さんの出身高校は、東京都立西高等学校です。
東京都立西高等学校の偏差値は、2022年度のみんなの高校情報によりますと「74」となっており、超難関校であるといえますね。
葛西さん同様、こちらの高校卒業生には下記のような著名人がいらっしゃいます。
- 阿刀田高(小説家)
- 加藤諦三(社会心理学者)
- 玉村豊男(エッセイスト)
- 金田一秀穂(言語学者)
- 兼清麻美(アナウンサー)
- 黒井千次(小説家)
- 納谷六朗(声優)
- 野末陳平(放送作家・元参議院議員) etc…
葛西敬之の出身大学(学歴)はどこ?
葛西敬之さんの出身大学は、東京大学 法学部です。
東京大学 法学部を卒業後は、1963年4月(当時22歳)に日本国有鉄道に入社しています。
前述にもありますが、1966年秋(当時26歳) 現在の妻(嫁)である芥川省子さんと出会い、1967年5月(当時26歳)に結婚式を挙げています。
出会いから約半年でのスピード結婚だったんですね。
1967年7月(当時26歳)から妻・省子さんと共にアメリカ合衆国・ウィスコンシン州へ行き、葛西敬之さんはウィスコンシン大学マディソン校に留学するようになります。
ウィスコンシン大学マディソン校在学中に長女が誕生するなど忙しい日々を過ごしながらも、経済学修士を取得し1969年(当時28歳頃)に卒業されています。
葛西家は佐渡の医者であり漢学者だった!
葛西敬之さんの家は代々、新潟・佐渡の医者であり、漢学者だったそうです。
次で家族一覧を確認してみましょう。
▶曽祖父:佐渡で私塾を開いた
▶父方祖父:千秋(現在の開成中学・高校で学んだ)
▶母方祖父:本荘堅宏(浄土真宗の教師)
▶父:順夫(明石中学の国語・漢文の教師)
▶母:益世(聡明で覇気のある人)
▶妹
▶妻:省子(鉄道一家に育つ)
▶子供:3人
▶孫
※参照:家系図
葛西さんは、高学歴な方たちが集まった家系だったんですね。
葛西敬之の経歴は?
葛西敬之さんの経歴は、鉄道業界だけ見ても、下記のように尽力されていることがわかります。
▶昭和38年(1963年)4月:日本国有鉄道 入社
▶昭和61年(1986年)2月:日本国有鉄道 職員局 職員次長
▶昭和62年(1987年)4月:東海旅客鉄道株式会社 入社 同社取締役
▶平成2年(1990年):東海旅客鉄道株式会社 副社長
▶平成7年(1995年)6月:東海旅客鉄道株式会社 代表取締役社長
▶平成16年(2004年)6月:東海旅客鉄道株式会社 代表取締役会長
▶平成26年(2014年)4月:東海旅客鉄道株式会社 代表取締役名誉会長
▶平成30年(2018年)4月:東海旅客鉄道株式会社 取締役名誉会長
▶令和2年(2020年)6月:東海旅客鉄道株式会社 名誉会長
《主な公職歴》
▶平成24年(2012年)7月:宇宙政策委員会 委員長(現職)
経営の一線を退いた後も、JR東海社内では影響力を持ち続けていた葛西敬之さんは、新幹線方式の鉄道を海外に売り込むため各国首脳や政治家への周知活動を行っています。
社外では、国家公安委員会委員や、教育再生会議の有識者メンバーを務め、保守を代表する論客ともいわれ、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の代表発起人としても名を連ねています。
安倍晋三元首相を、自民党が野党に転落した時代も含め支えてきた重要人物です。
また葛西敬之さんは、母校である東京大学をはじめ、皇学館大学や名城大学などの客員教授なども務められており、産経新聞や読売新聞にコラムを連載するなど、幅広い分野で活動をされていたとのこと。
更には、トヨタ自動車、東海旅客鉄道、中部電力の共同出資からなる全寮制男子校として知られる海陽学園の理事長も務めていました。
▶客員教授(東京大学、皇学館大学、名城大学 etc…)
▶コラム連載
▶全寮制男子校の海陽学園理事長
葛西敬之さんは、ご自分の力を多方面に注ぎ込む方だったんですね。
まとめ
- 葛西敬之の死因となる病気は何?
- 葛西敬之の妻(嫁)はどんな人?
- 葛西敬之の学歴(出身高校・大学)は?
- 葛西敬之の経歴は?
と題しリサーチしていきました。
葛西敬之さんの学歴、経歴などをみていくことで、多方面で尽力されてきたことがわかりました。
特に鉄道業界への影響力はとても大きかったんですね。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。
最後までお読み頂き、有難う御座いました。
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