2022年2月10日(木)北京オリンピックのフィギュアスケート 男子フリーが行われ、日本勢はショートプログラム(SP)2位の鍵山優真さん(18)が銀メダルを獲得されました!
日本フィギュア史上最年少のメダル獲得でも話題になり、愛らしい挙動も相まって、ファンが益々増えるの鍵山優真さんですが、そんな鍵山優真さんを生み出した父親:鍵山正和さんはどんな方か気になることろですね。
父親の仕事や若い頃、現在車椅子ということですが何が原因なのか?
そこで今回は、
- 鍵山優真の父:正和の仕事は何?
- 鍵山優真の父:正和の若い頃はどんな人だった?
- 父:鍵山正和のはじまりは母だった
- 鍵山優真の父:正和が現在車椅子なのは脳梗塞が原因?
- 父:鍵山正和のプロフィールまとめ
と題し、調査していきたいと思います。
鍵山優真さんのルーツである、父:鍵山正和さんに迫ります!
鍵山優真の父:正和の仕事は何?
鍵山優真さんの父は鍵山正和(まさかず)さんで、仕事は、優真さんの現コーチです。
そう!
いつも鍵山優真さんの隣で一緒に喜びを分かち合っているあの方ですね。
父:鍵山正和さんは、優真さんがジュニア時代からコーチを務め、ジュニアの大会で数多く表彰台へと導いてきました。
鍵山正和さんからは、とても温かく優しい雰囲気が醸し出ていますね!
喜びの瞬間、コーチから父親の顔になって本当に嬉しそうな表情が印象的でした。
鍵山優真さんの父として、コーチとして、一番近くで支えてくれていた理解者であり師匠というわけですね。
すてきな親子関係に、映像越しに筆者は毎回ほっこりしています。
鍵山優真の父:正和の若い頃はどんな人だった?
鍵山優真さんの父:鍵山正和さんは、元男子フィギュアスケート選手でした。
1991年から全日本フィギュアスケート選手権3年連続で優勝し、1992年 アルベールビルオリンピック、1994年 リレハンメルオリンピックの男子シングル日本代表として活躍されました。
解説者の五十嵐文男さんは、「膝と足首が柔らかい選手」と評価しており、アクセルジャンプはやや苦手としていましたが、膝と足首の柔らかさはトリプルルッツ‐トリプルトゥなどの連続ジャンプで活かされていました。
鍵山正和さんは、本田武史さんが登場するまでの、日本の男子フィギュアスケート界を牽引した人物です。
そして、1994年 リレハンメルオリンピックを最後に現役引退しています。
父:鍵山正和のはじまりは母だった
また、鍵山正和さんの母親である平川佐治子さん(73)が、当時小学2年頃の正和さんを名古屋市内のスケート教室に連れて行ったことがそもそものきっかけで、正和さんはスケートを始めたといいます。
祖母:平川佐治子さんは「私がすごくスケートが好きで、やってみたんです。そしたら、こんなに面白いスポーツはないと思って。」と話していて、鍵山正和さんよりも、平川佐治子さんのほうがスケートにのめり込んで一緒に教室に通っていたといわれています。
当時、平川佐治子さんはシングルマザーで、月謝は母親に援助してもらっていました。
衣装は母親が縫い、スパンコールを佐治子さんがつけるというように分担していたといいます。
「夜中に一人で作業。それが結構楽しかったんですよ。」と話す平川さん。
サポートにも力を入れ、先生が来る前には独自に練習メニューを与えたりと、「お金がかかるなぁ」という思いと同時に、一生懸命鍵山正和さんに自分の出来る力を注いでいたそうです。
鍵山優真さんの父:鍵山正和さんがあるのは、平川佐治子さんの存在あってこそなんですね!
3世代にわたるスケートの想い…とても強い繋がりを感じます。
鍵山優真の父:正和が現在車椅子なのは脳梗塞が原因?
鍵山優真さんの父:正和さんは、2018年6月23日(当時43歳)脳梗塞ではなく脳出血を発症し、入院加療を経て退院するも左半身麻痺の後遺症で車椅子と杖歩行生活をされています。
脳出血とは
脳の中にある細かい血管が破れて出血している状態。高血圧の症状がある方に多く、高血圧で動脈硬化を進行させたことで血管が脆くなり、そこにさらに血流の圧力がかかることで血管が膨れ、やがて破れてしまうことで脳の内部に出血が起きてしまいます。
脳梗塞とは
脳の血管が詰まったり、挟まったりしでて血流が悪くなることで起きる疾患。動脈硬化を起こして血管が狭くなり、やがて詰まっていく脳血栓症(脳血栓症には、首や脳の比較的太い動脈で起きるアテローム血栓性脳梗塞、脳の細い血管が詰まることで起きるラクナ梗塞に分類)と、心臓などでできた血の塊(血栓)が流れてきて脳の血管を塞いでしまう脳血栓症の2つのタイプに分けられる。このほかにも、一時的に脳の血管は詰まりますが、すぐに血流が再開するという脳梗塞の前触れとして起きる一過性脳虚血発作もあります。
参照:くび・腰・あたまのとみた脳神経外科クリニック
鍵山正和さんが脳出血発症した際、当時中学3年生だった鍵山優真さんは、「あまり状況が理解できなくて。気付いたらお父さんが病院にいた。」とそのときの心境を話しています。
また、本来脳出血が右側で出血すると左半身麻痺、左側で出血すると右半身麻痺になるので、鍵山正和さんは左半身麻痺の後遺症があるため右脳内出血を起こしたといえます。
左手は拳状に握られていることが多いことから、やや拘縮(拘縮=関節が正常な範囲で動かなくなってしまった状態)気味にあるのかもしれませんし、インタビューでの受け答えではやや呂律難(話しづらさ)もみられます。
長距離移動は車椅子、近距離移動は杖歩行メインであることを考えると、相当リハビリ訓練をされていたと考えます。
杖歩行の際には、左下肢に装具装着している姿も見受けられ、装具なしでは歩行の安定感を保てない状態なのでしょう。
鍵山正和さんは入院後、半年間の入院加療・リハビリ訓練を経て、再びコーチとしてリンクに戻ってこられるという、とても精神面でも強い…いえ。強いとは筆者は言いきれませんが、家族の支え、鍵山優真さんの支えが大きく存在していたといえるのでしょうね。
実際鍵山正和さんは、脳出血で倒れた際の心境について、「コーチとしての役目だけではなくて、親としての務めをこの体で果たしていけるのだろうかとすごく不安だったし、氷の上で立てない状態で役に立っているんだろうか。」と話しており、正和さん自身は多くの葛藤と不安を抱えていたのでしょう。
心身共に支えてくれた存在は、やはり息子である鍵山優真さんだったのです。
父:鍵山正和のプロフィールまとめ
名前:鍵山 正和(かぎやま まさかず)さん
▶生年月日:1971年4月12日
▶出身地:愛知県名古屋市— 学歴 —
▶出身高校:愛知工業大学名電高等学校
▶出身大学:愛知工業大学 → 中退▶母:平川佐治子さんが、当時小学2年頃の正和さんを名古屋市内のスケート教室に連れて行ったことがきっかけで、スケートをはじめる
▶実績:
- 1991年から、全日本フィギュアスケート選手権 3年連続優勝
- 1992年 アルベールビルオリンピック 8位入賞に一歩届かず
- 1994年 リレハンメルオリンピック 8位入賞に一歩届かず
- 1994年 世界選手権 6位入賞 → 同大会を最後に現役引退
その後も、インストラクターとして活動
▶本田武史さんが登場するまでの、日本男子フィギュアスケート界を牽引
参照:Wikipedia
▶シングルファーザー
▶息子:鍵山優真さんがジュニア時代からコーチとして指導にあたる
まとめ
- 鍵山優真の父:正和の仕事は何?
- 鍵山優真の父:正和の若い頃はどんな人だった?
- 父:鍵山正和のはじまりは母だった
- 鍵山優真の父:正和が現在車椅子なのは脳梗塞が原因?
- 父:鍵山正和のプロフィールまとめ
と題し調査していきました。
大会では、鍵山優真さん・父:鍵山正和さんお二人の喜ぶ姿が、温かく強い繋がりを感じ印象的ですが、その繋がりの意味に納得させられる存在で、鍵山優真さんのルーツともいえるのが父:正和さんなんですね。
改めまして、2022年北京オリンピック フィギュアスケート男子フリー 銀メダル獲得 おめでとう御座います!
最後までお読み頂き、ありがとう御座います。
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