2022年1月19日(水) 『第166回直木賞』で、歴史小説家の今村翔吾さん(37)の歴史小説「塞王の楯」が受賞しました。
今村翔吾さんは昨年2021年11月から廃業の危機に陥った大阪府箕面市にある町の本屋の経営に乗り出す一方で、歴史小説家として雑誌や新聞などに8本の連載を抱えるなど、売れっ子作家として執筆活動を続けていたそうです。
今回が3度目のノミネートで、念願の受賞で思わず涙する場面もみられました。
そんな今村翔吾さんの
- 大学や高校の学歴は?
- 経歴は福井のダンススクール指導者!
と題して調査していきたいと思います。
それでは早速本題です。
今村翔吾の大学や高校の学歴は?
今村翔吾さんの学歴はどんなものなのか?
残念ながら、今村翔吾さんの学歴の詳細は明らかにされていませんでした。
一部の記事では、中高一貫校の男女共学校に通っていたという話があがっており、「奈良育英中学校・高等学校」ではないか?と推測されているところもありますが、実際のところは不明のままです。
ただ、今村翔吾さんは、「スティーヴィー・ワンダー」さんのバックドラマーとして有名な「デニス・デイビス」さんからスティックを贈られたことがきっかけで、9歳からドラムを始めたというエピソードがあるそうです。
また、14歳ではギターをはじめ、16歳からはダンスチームのために作曲をしたという、生粋のアーティスト素質があった様子が伺えます。
今村翔吾の経歴は福井のダンススクール指導者!
今村翔吾の経歴はダンススクール指導者

今村翔吾さんは、父:克彦さん主宰のダンスチーム「関西京都今村組」に所属していました。不登校生を受け入れる同高の斎藤真人校長の要望で、今村組は2006年から2年間、定期的に教えていたそうです。
今村組は厳しい指導で有名!
2007年は今村翔吾さんが単身で9月から2ヶ月間、生徒を特訓し、時に関西弁で叱ったといいます。「なんやわれーっ!やる気あんのんか!」。本気でぶつかる熱血漢を生徒たちも信頼し、放課後学校近くの賃貸マンションに住む今村翔吾さん宅を毎日のように訪れ、人生相談に乗って貰っていたそうです。
今村翔吾さんが教えた生徒約30数人で結成した「立花組」は、2007年に福岡市であった「ふくこいアジア祭り」に出場!
そして、100チーム以上参加した大会で4位に入賞!
石垣を築く穴太衆と鉄砲を造る国友衆と無名の職人たちに光を当てた受賞作になぞらえ、斎藤校長は「生徒たちにも名はなくても輝ける場所に立ってほしいという優しい思いがあった。慈悲深かった。」と、今村翔吾さんの人柄をしのんでいます。
今村翔吾は福井に縁があるダンススクール指導者
今村翔吾さんは福井にも縁があるといいます。
実は福井県は、2017年に作家デビューする前にダンス指導者時代から何度も足を運んだ思い入れのある地だそうです。
「塞王の楯」は、戦国時代の一乗谷に象嵌(ぞうがん)職人の息子として生まれた飛田匡介(きょうすけ)が主人公。
一乗谷朝倉氏の城下町が織田信長の襲撃を受け、匡介が家族を失う場面で物語は幕を開ける。近江国の石工集団・穴太衆(あのうしゅう)の組頭に拾われ、石垣造りの技を磨いた匡介はやがて、武将たちの合戦を裏方として支える職人に。戦をなくしたいという思いを抱きながら戦国の世を生きていく。
第166回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催) 直木賞受賞作品『塞王の楯』のあらすじより
「一乗谷朝倉氏遺跡」は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国大名朝倉氏の城下町の跡が、良い状態で埋まっています。遺跡の発掘調査は、1967年から進められ、1971年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されています。
今回の『塞王の楯』の内容といい、ダンススクール講師といい、福井県とは切っても切れない関係といっていいですね!
また、福井県鯖江市などでダンス教室を主宰し、福井市の福井フェニックスまつりで教室生と踊ったこともあるそうです。
まつり会場近くにあった勝木書店福井駅前本店には、作家になって毎年顔を見せていたと。サイン会に訪れたダンス指導者時代の教え子と気さくに会話を交わし、福井との縁を大事にしていたそうです。
まとめ
今回は、
- 今村翔吾の大学や高校の学歴は?
- 今村翔吾の経歴は福井のダンススクール指導者!
について調査していきました。
今回の受賞を受け、
「『30歳になってからでも夢は叶うってことを残りの人生で証明する』と子どもたちに言って、”嘘”を”実”に出来たなという気持ちです。あー、良かった。」
このようなコメントを残されています。
とても希望が持てるメッセージですね。
改めて、この度は直木賞受賞おめでとう御座います!
最後までお読み頂き、有難う御座いました。

